森美術館で開催中の展覧会、「シアスター・ゲイツ展 アフロ民藝」を観に行ってきました。
オフィシャルサイトに謳われた展覧会のコピーは、「世界が注目するブラック・アーティスト、待望の日本初個展! 陶芸、建築、音楽で日本文化と黒人文化の新しいハイブリッドを描く、壮大なインスタレーション」とだいぶ大上段。アフロ民藝というワードが個展内容を正しく表現しているかどうかはともかく、「アフロ民藝」のキャッチーさにまんまと惹き寄せられて会場に足を運んでいる自身を振り返れば、プロモーションとしては成功していると思う。
会場に足を踏み入れて感じるのは、圧倒的な表現の強度。いままでソウルミュージックなんかを聴きながら使ってきた「ソウルフル」の意味を、実は根っこからは分かってなかったのかもと思わされるくらい、いわゆる「バイブス」ってやつがべらぼうに強い。というか分厚い。ブラックネスの複雑さを重層的に内包したゲイツの作品は、コールタールのペインティングしかり、古い軍事施設の床材を十字に組み合わせた「アーモリー・クロス #2」しかり、シカゴの土を常滑式の穴窯で焼いたブラック・ベッセル(黒い器)しかり、作品と対峙した時に感じる「圧」のようなものがめちゃくちゃに強い。なんだか、種としての強さを感じるというか、それはもう圧倒的な強さだ。その抗いようのない強さの反面、器に被せられた赤いレザーはボッテガ・ヴェネタの職人によるものだったり、プラダや京都西陣織の細尾や、お香の老舗、松栄堂など世界中のクラフトマンシップへのリスペクトをベースとしたコラボが多くある。長野の古民家で使われていた古い木材や、昭和初期まで信楽で使われていた通い徳利(貧乏徳利)などもインスタレーションに使用されていて、他者を寄せ付けない強さではなく、多文化との共生も同時に表現する。時代、国、有名無名を問わない幅広い領域にまたがるゲイツ流の民藝は、単なるブラックアートでも私たちがこれまで見てきた民藝でもない、新たな地平を拓いている。
いいもん、観た。
個人的には中程の展示室で上映されていた映像作品と、最初の展示室にあった江戸後期の歌人で陶芸家、尼僧の大田垣蓮月の掛け軸に心震えました。