沖縄県南城市にその店はあります。関根麻子さんが一人で切り盛りする「胃袋」。初めて伺ったのはもう7年ほど前でしょうか。夕食の予約時間の少し前、暮れる前の明るいうちにお庭の写真を撮らせてもらい、お隣の木工作家、藤本健さんのアトリエを拝見したりしていると、そろそろ辺りが暗くなってくる。食事の時間だ。木の扉を開け中に入ると、ほの暗い空間が浮かび上がる。南国の緑が勢いよく茂る窓の外の景色がとても幻想的だ。テーブルの上の蝋燭の灯りを頼りに席に着く。
メニューはなく、おまかせのコースを麻子さんが一皿一皿丁寧に説明しながら出してくださる。乾杯後、やんばる鳥とカシューナッツのペーストにいちじくとウイキョウの葉を散らしたものにヨーグルトを添えた一皿がこの日の始まり。スイカとトマトのスープは野性味と滋味深さが溢れており、上に添えられたスモモと茗荷も相性がいい。前菜、魚、肉、デザートと、どれも地元の食材を効果的に使い、独創的なアプローチで供される。どこのレストランとも違うここならではの手法で。
「きちんとした料理の修業をしたことがなく、一度どこかで勉強したほうがいいかしら」とお知り合いの料理人の方に相談したことがあるそうだ。だけど、返って来た答えは「別にいいんじゃない。それをすると、ここの料理じゃなくなってしまうよ」と。全く同感。それくらい胃袋のお料理は唯一無二の世界観だと思う。
そして、その世界観に一役買っているのが、店内の明度の低さだと個人的には思っている。胃袋には必要最小限の光源しかない。レストランに必須のテーブルの上のお料理が美味しく見えるように煌々と照らす照明はない。手元のカトラリーが辛うじて判別できるくらいの蝋燭の灯りがあるだけだ。かといって、何を食べているか判らないほどではなく、絶妙にお皿の料理が浮かび上がってくる。麻子さんのお料理は暗がりで映える、なんというか「妖艶さ」を持っている気がする。他の余計な物が目に入らないぶん、自然と目の前のお皿への没入感が増す。近頃はいろんな情報が過多過剰なので、極限まで絞られたミニマムさに逆に意識が吸い寄せられてしまう。
お料理に合わせて選んでくださるお酒も絶妙なので、ついつい飲み過ぎてしまう。レンタカーでは行けないので、近くに宿を探すのが以前は大変だった。最近は、近くに胃袋の内装も手がけた藤本健さんがオーナーの「芭蕉の家」という一棟貸しの宿ができた。お部屋から海一望の素敵な宿で、バナナの木に囲まれながら南国気分が味わえます。