海と空に囲まれた未来の遺跡、杉本博司氏の「江之浦測候所」に想うこと

もうすぐ夏至。早いもので今年もあっという間に一年の半分の月日が過ぎ去っていきました。

杉本氏は江之浦測候所について、「遺跡を作りたかった」と語っている。彼の頭の中には5000年前から5000年後くらいまでの一万年に及ぶ膨大な時間軸があり、「5000年後に滅びたあとの美しさを想定しながら作る。その意味で普通の建築とは違っている」と。人類が文明というものを生み出した時代にどうやって建築を創り始めたか、ということに思いを馳せてそれを追体験してみたかったそうだ。なんとも壮大な話。

場所は氏の少年時代の思い出と縁が深い小田原市。かつての柑橘畑を再開発した広大な土地に、美術鑑賞のためのギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園等が配置されている。杉本氏でなければコレクションできなかったであろう審美眼の粋を極めた美術品や彼の作品をはじめ、それぞれ建築物は日本の建築様式・工法の各時代の特徴を取り入れ、現在では継承が困難になりつつある伝統工法を再現して将来に伝えることを目的として建てられている。

江之浦測候所における最初の着想は、地下70メートルの「冬至光遥拝隧道」。これは冬至の日に太陽が昇る地点に向かって伸びる隧道だ。それと対をなす「夏至光遥拝100メートルギャラリー」は海に向かって左手がガラス張り、右手に大谷石の壁が続く長い廊下の先に水平線を臨む明るい空間。その先にはもちろん夏至の日に太陽が昇る地点がある。春分、秋分の日も朝陽の軸線に重ねられた石橋が敷地内にあり、それぞれ光遥拝の会が催される。杉本氏は、宇宙の運行上の軸線を意識する。それは人の自意識の芽生え、つまり「自分は何者か」を問いかけると、拠り所となるのが「自分の場所を知る」ことだったのではないかと考えているからだ。まず太陽の運行の規則性を知ることが端緒の行為だったのではと。確かに世界中の遺跡にはそういう痕跡が感じられる。そんな太古の試みをもう一度自分で再現してみようと思ったそうだ。江之浦測候所は自身の人生の総まとめとも仰っている。

永い時間をかけて歴史を紡いできた各文明が成長の臨界点に至り、行き場を見失う。ということを私たちは繰り返してきた。自分の居場所を見失う、あるいは自身の進むべき道がわからなくなったとき、人はその由来に立ち返ることで新たに前に進めるようになるのかもしれない。自分を見失わずにいてほしい、特に国を導く人には。世界の其処此処で戦火の連鎖が続く今、そんなことを考える。

杉本氏は言う。「5000年後、ガラスや建物の天井は残っていないでしょう。でも、石は残る。」

いつの時代も彼のような人は存在したのかもしれない。世界各地に謎の遺跡を残して。

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